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体験談
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元がん患者として、人のお役に立てるような仕事はないかと考えています。瀬戸口 拓世さん(鹿児島県/56歳)

現在生きているから、嫌なことも楽しめる

この10年間というのはどのような時間でしたか?

ものすごく濃密な時間でした。振り返ってみれば、もう20年くらい過ぎたように思えるし、逆に、あっという間に過ぎたような感覚もあります。

現在の体調はいかがですか?

検査結果に異常はありません。ただ、胃がない分、ときどきダンピング(顔面紅潮、全身倦怠感など)や血糖値の急な変化、消化液の逆流などがあります。胃があれば、そういうこともないのでしょうが、まぁ仕方がないと思っています。

最初は何を、いつ、どれだけ食べたらいいのか、さっぱりわかりませんでした。病院によっては生活指導をしてくださる先生もいらっしゃるようですが、私の場合、そういうことはなかったので自分で調べました。そして、食事を分けたり、食べたら時間を置いて横になるなど、普通の生活を送るための術をこの10年間で身につけていきました。

腫瘍マーカーも範囲内に留まっています。手術した病院と近所の個人病院で診てもらっていますが、数値は高かったり低かったりです。ただし、どちらも基準値の枠内です。「数値が上がっても考えすぎないように」と医師から毎回言われてきましたので、今はあまり気にしないようにしています。

検診は秋と春。術後5年を過ぎたとき、病院からは「もう年に1回の検査でいいです」と言われましたので、10月か11月に病院で受け、春には会社の人間ドックを受けています。これは定例行事のようなものですね。検査内容は共通しているものもあれば、違うものもあります。血液検査は共通で行われ、CT検査は秋だけといった具合です。いずれにしても、春秋の2回、検査は受けています。

運動は、仕事が忙しくてなかなかできません。時間があればウォーキングをしたり、家でスクワットや腕立て伏せ、腹筋運動などをやっています。仕事は半導体を作る会社の事務関係で、パソコンに向かっていることが多いのですが、駐車場から歩いたり、食堂やトイレに行ったりすることが日常的な運動になっています。これでは、少し物足りないかなと…。

食事やフコイダンについては?

食事は胃がないために「分食」です。
家内が小さく握ったおにぎりやパン、サツマイモなどをラップに包んでくれます。個数は1日8個と決めており、ペットボトルにお茶を入れ、職場に持っていきます。周囲を見渡して、とくに仕事上問題がないようなら、パクッと口に放り込んでいます。

フコイダンは、当初400ccずつを4カ月間飲んでいました。今は目覚めたときと眠る前に30ccずつを飲んでいます。これは基準量というか、維持量ということですね。

すごい行動力ですね。その早い決断が生死を分けた?

ある医師からは「あと1年くらいの命でしょう」と言われました。ところが、別の医師は「100歳まで生きられます」と言う。「えーっ」と(笑)。それまで、どの医師も私に厳しいことしか告げませんでした。気休めにせよ「生きられます」という言葉に励まされました。「がんばるぞ、がんばれるぞ」という前向きな気持ちになることができたんです。

そんな心境の変化も良かったのかもしれません。抗がん剤を止め、3週間後に腫瘍マーカーの検査を受けました。前回は上限値を超えた6.4でした。その数値がさらに高くなっていたら医師は入院と抗がん剤の点滴治療をすすめたと思います。しかし、結果は上限値内の4.6に下がっていました。

なぜ、腫瘍マーカーが下がったのか理由はわかりません。抗がん剤を止めたことで自己免疫力が戻ってきたのか、メンタルな変化が数字に表れたのか…。とにかく点滴に繋がれるかどうかの瀬戸際で4.6という値が出た。それは私の運命を変えた数字だったと思います。

がんを克服して以降、心境の変化はありますか?

これは5年前にもお話ししたことですが、まわりのさまざまなことに感謝ができるようになりました。

定説で言えば、術後2年ほどで自分の人生は終わっていたのではないかと思うのです。医師も同じ思いをされているようで「なんで、あなたが元気なの?」と。大きい病院なので、よく担当医が代わるのですが、私のカルテを見て、病理状態なども確認して、「あれ?」と (笑)。要は、本来もうこの世にはいないであろう人間が目の前にいるということで不思議がられているのでしょうね。

手は動くし、口はきける。目は見えるし、車も運転できる。胃はないにしても、不自由はほとんどないじゃないですか。普通のことができるありがたさを感じています。

もっと言うと、嫌なことさえも楽しめるということです。集団生活をしていると、人間関係に問題があったり、意見が食い違ったりして、嫌なことがありますね。そういう事態はなるべく避けたいのですが、「ちょっと待てよと。私はあのとき人生が終わっていたかも知れ ないのに、今こうして元気で生きているからこそ、嫌な思いもできるんだ、ありがたいことじゃないか」と。そんな気持ちで、嫌な気持ちになってもサッと気分を変え、ストレスをためないようにしようと。そういう考え方も自分なりに学んできたというのでしょうか。月日が経つ につれ、自然と感じるようになってきました。

もっとも手術後の3年間はそれどころではなかったです。不安のあまり、視野が狭くなっていたのかなと思います。

10年を過ぎたとき、ご家族からの祝福はどうでしたか?

とくにありませんでした(笑)。それぞれに思いはあるのでしょうが。私のあのときのこと、今のことをテーマにして語り合うということはもうありません。病院での検査を終えたとき、妻にメールで「胃なし人間10年になったよ」と打つと、「おめでとう」と返っ てくるくらいでした。

子どもは長男、次男がいまして、2人とも結婚しています。結婚式では、ともに新郎側の挨拶をまかされ、無事に終えました。私の場合、私が20歳のときに父親が脳梗塞で倒れ、言語障害などが残りましたので、結婚式のときには挨拶をする役ができなかったのです。で すから、自分の息子の結婚式のときは、両家の挨拶をしっかりしようと。病気になる前からそれが自分の役目だということを思っていました。がんになったときは、もうそんな役目も果たせないのかなと思うことがありましたが、ちゃんと挨拶もできました。

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