健康のためにできること
今年こそは健康のために何かしたい…と思っていましたが、結局毎日に追われ特別には何もできなかった…と思う今日この頃です。
ただひとつだけあるとすれば、エレベーターやエスカレーターは極力使わず、階段を使うようにした、ということぐらいで…(苦笑)
それでも少しだけ健康になった気がしています。足腰を鍛えることになったのではないかと…。
そもそも、健康とはなんでしょうか。
世界保健機関(WHO)による健康の定義とは、
「健康とは、身体的、精神的ならびに社会的に完全に良好な状態にあることであり、単に病気や虚弱でないことにとどまるものではない。到達しうる最高度の健康を享受することは、人種・宗教・政治的信念・経済的ないし社会的地位のいかんにかかわらず、すべての人類の基本的権利の1つである」
と、なっています。
しかし、WHOの定義はあまりに理想的であるがために、一方では具体的、現実的に理解できないという批判もなされてきたそうです。
そこで高齢化社会における新しい健康の捉え方として、「無病息災」が健康であるといった伝統的な考え方から、「一病息災」も健康であるという考え方も必要との意見も注目されるようになりました。
そして現在では、従来のような健康か病気かといった二者択一的な考え方ではなく、社会参加への可能性や精神的な充実感、生活の質などを考慮した健康への視点が重要となってきている、ということのようです。
当会で相談を受けているがん患者さんへ、「がん細胞との共存」というお話をする場合があります。「たとえがん細胞がまだあったとしても、おとなしくしてくれていて普段の生活が送れるといった状況であれば…」というお話です。
フコイダンを飲用されている方は、ときにこういった状況で治療は何もせず、毎日を楽しく過ごすことができると喜ばれている方もいらっしゃいます。
つまりこれも、「一病息災」という考え方をすれば、健康であるともいえるのかもしれませんよね。
もちろん当事者の方のお気持ちは、それでも「不安」を拭い去れるわけではない、ということもあるとは思いますが。
色々な考え方がある中で今一度、「健康とは?」「自分には何ができる?」と、改めて考えてみるのもいいかなと思っています。
高齢化社会…、これからもどんどん、長生きのできる時代へとまだまだ進みそう(?)ですからね。