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余命2カ月、手術不能、そして再発。でも自分はぜったい助かるんだ、って思ったんです。尾辻 久江さん(59歳・女性・卵巣がん)2009年取材
再発後、ふたたびフコイダンで
再発、転移がわかったときの状況は?
平成18年の3月の検査で、腫瘍マーカーが上昇していたんですね。それで4月にCTとPETを受けたら、右の腸骨のリンパ節にがんがあることがわかったんです。
転移と聞いたときにはまぁ…ショックでしたけど、まぁね、しかたないか、という気持ちでした。
家族には検査のたびに、結果を電話していたんです。ですからマーカーが上がっていたことも知っていたし、心配していたとは思います。でも私には言わないんですね。 あとで聞いた話ですが、息子たちは「母も自分たちも一生懸命がんばってきたのにどうして再発するんだ、ってすごくショックを受けた」と言っていたそうです。 「でも自分たちがしっかりしていないと、本人はなおつらいだろう。兄弟で力を合わせて今まで以上にサポートしていこう、と話し合っていた」とも。あぁそうだったんだ…って、じんときました。
抗がん剤治療を辞退したそうですが。
はい。主治医から、「これからは延命治療となり、一生、抗がん剤を打たないとだめですよ」と言われたんです。正直いって、転移を告げられたことよりもショックでした。
私は最初の手術後と、2回目の手術後にそれぞれ抗がん剤を受けていて、確かに副作用は人と比べると少なかったですが、やっぱり気分のいいものではないし、いずれ体がぼろぼろになると人から聞いたこともあるし…。 いくら楽天家な私でも、抗がん剤だけは「もう打ちたくない」って思ったんです。それは家族も同じで、「もう打たせたくない」って。
それで主治医に、抗がん剤治療はしませんってお断りしたんです。
それは、みなさん驚いたでしょう?
そうですね。主治医は驚いていたみたいですが、ご家族でそうお決めになったのなら、と了解してくれました。ただ月1回経過観察にはきてくださいねって。 それより病院の中で顔みしりになった患者さん仲間の方がすごく驚いていたみたい。最近になって「あのとき、すごい決断をしたよねってみんなで言っていたの。大丈夫かなって心配したのよ。でも元気だねー」って。
手術で転移した部分はとってもらったのですが、その時点で家族は主治医から「抗がん剤治療を受けないなら、もってあと2年」と聞いていた、と後になって知りました。
それでフコイダンに賭けてみようと?
また息子たちがいろいろ調べて、鹿児島市でもフコイダン療法をやっている医師がいるというので、統健会を訪ねたのが平成18年6月。そこで堂福先生とお会いしました。
何といっても元癌研(財団法人癌研究会癌研究所)のお医者さんですし、フコイダンのことだけではなく、毎日の食事まで細かいアドバイスをくださり、 がんと闘う体の環境づくりにとって何が大切かをていねいにご指導くださったのでとても信頼できました。
先生から言われて、好きだったコーヒーもきっぱりやめ、肉も控えて野菜中心の食事にしました。 そして低分子フコイダン400cc/日を中心とした「フコイダン等綜合サプリメント療法」を続けたのです。 そしたら2週間くらいで、腫瘍マーカーがすっと下がったんですね。それ以降今まで、正常範囲内を出たことは一度もありません。
とはいえ、月1回の検査は毎回毎回が勝負、という感じで、毎回毎回結果がでるまで戦々恐々としていました。いつ腫瘍マーカーが上がるか、いつまた再発するか、と。 前回よりもちょっとでも数値が上がると、たとえ正常範囲内であっても不安になったり…。でも2年くらい経ったころからようやく「このままいけば大丈夫」と思えるようになってきましたね。 堂福先生もまったく心配ないって言ってくださっています。
再発してからの不安な日々を乗り越え、今こうして元気でいられるのも、統健会のみなさん、そして堂福先生との出会いがあったからこそ。心から感謝しています。
今のお気持ちはいかがでしょうか?
再発してからもう3年以上経ちます。「もって2年」と言われていましたが今も健康な人と何ら変わりなく日々生活できています。 趣味のミニバレーも、入院していたときを除いて、週1回のペースでずっと続けていて、もう20年になります。
がんになってから、本当にたくさんの人に支えられてここまできたなぁ…と感謝の気持ちでいっぱいです。主人も私もずっと指宿で育ったもので、長いつきあいの友達が多いものだから、 最初の入院のときには280人もお見舞いに来てくださったんですよ。病院には迷惑になるから、自宅の方に来ていただいたのですが…。 後から聞いたら、「尾辻さんはがんでもうだめだ」って話が広がって、会話ができるうちに顔を見ておきたい、とお見舞いが相次いだそうなんですが。 それが今では「あの尾辻さんが元気になった」って話になって、みんな「どうして良くなったの?」「何を飲んだの?」って聞きにこられます。
ずっと支えてこられたご家族も喜んでいるでしょう?
はい。もちろんです。そしてもちろん家族にも、初めてがんと宣告されてから6年間、ずっと支えてもらったことを感謝しています。 うちは16年前、主人が脱サラして身一つでスポーツ店を開き、二人で右も左もわからないまま本当に手探りでやってきたんですね。 ちょうど3人の息子が大学に入る時期と重なって、学費や生活費を工面するのに苦労しました。そういう親の姿を、何も言わなくても息子たちは見ていてくれていたのかも知れませんね。 私ががんになってから、ずっと助けてくれましたから……。だからそんな苦労はもう苦労とは思わないですね。
主人は昔から趣味で家庭菜園をやっているんですけど、堂福先生に野菜中心の食事をとアドバイスいただいてから、いっそう熱が入ってね。今では家で食べる野菜はすべて自家製です。 きゅうり、トマト、とうもろこし、ピーマン、キャベツ、白菜…もちろん、全部無農薬で。 店では、私は経理をずっとやってきましたから、入院中は私がいなくてたいへんだったのではと思います。でも主人は後になっていうんですよ。 「お金のことはいい、なくてもいい、元気でいてくれたらそれが財産だ」って。息子たちからは「お母さんが明るかったから救われた」って言われました。
尾辻さんとお話していると、さぞたいへんだったであろう場面でも
あまり落ち込んだ様子がうかがえないのですが、気丈でいられるポイントは?
くよくよしないのは性格なんだと思います。でもくよくよしたところで何にもならないですからね。何事も前向きに考えること。そして自分が信じられる治療法に出合ったら、きちんとトコトンやること。 それが一番なんじゃないかと思います。
(※掲載している体験談は、患者様個人の感想であり、個人差があります。)