フコイダン療法をお考えなら統合医療と健康を考える会へ

特定非営利活動法人(NPO法人) 統合医療と健康を考える会

ご相お問い合わせは
統健会まで

0120-661-566

  • 受付時間:10:00~17:00
  • 定休日:土・日・祝休み
  • 受付時間10:00~17:00
  • 定休日 土・日・祝休み

体験談
体験談

Menu

 

医者として、長年育んできた価値観が変わりつつある、今の自分と向き合う杉島 忠志さん(医師・73歳・男性・肺がん)2024年取材

今回、統健会通心にこ登場いただいたのは、大阪市にお住まいの杉島忠志さん。こ自宅を訪問させていただき、奥様と一緒にお話をうかがうことができました。 ご自身が内科のドクターでもある杉島先生がステージIVのがん告知を受けたのは2023年9月のこと。持病として間質性肺炎があったために抗がん剤の使用が制限され、選択肢がほとんど無い状況に陥ってしまいます。そんな中、奥様の親や姉、知り合いの医師、仲の良い患者さんの親などのすすめもあってフコイダンの飲用を始めることになりました。医者として長年、西洋医学の世界に身を置いてきた杉島先生が当初サプリメントなどの民間療法に頼ることに対して懐疑的であったことは、ある意味当然のことだったといえるかもしれません。わずか1回のみの抗がん剤治療を終えて、その後一切治療らしい治療も行っていないにもかかわらず、2024年2月の検査で腫瘍の縮小が認められたことで、杉島先生の考え方にも微妙な変化が起こってきているようにも感じられました。「治療していないのに腫瘍が小さくなった」 ことへの驚きは、人生経験豊富な杉島先生をもってしても、その常識を覆すものだったのでしょうか?

健願だと確信していたから信じることができなかったがん告知

肺がんと診断されるまでの経緯をお聞かせください。

杉島先生 私たち夫婦は元々旅行がとても好きで、時間があれば色々な所に出かけて行って、2023年の8月にも夫婦で2週間のスイス旅行を満喫して来ました。私は現在73歳なのですが、旅行中は2時間のトレッキングを楽しむことができるほど元気で、まさか自らの体内でがんが進行しているなどとは考えもしませんでした。

ただ、今から思えば、唯一の症状として、旅行に出掛ける前の6月頃から妙に咳き込むことが多くなっていて「これはいったい何だろう?」といった感じで少し気になっていました。それでも、私は元々ヘビースモーカーでしたので「おそらくタバコの吸い過ぎかな?」といった程度に考えていて、まさか自分ががんなどとは夢にも思わなかったというのが正直なところです。
ところが、旅行から帰ってきて少し経ったある日のことですが、何だか軽い胸騒ぎを覚えて、自分の患者さんへの診療を終えた午後に、近隣の基幹病院に行ってCTを撮って欲しいとお願いしたんです。ただ、この時点でも私の中では、自分自身ががんだとはまったく考えておらず、自分の中で、検査をすることは、むしろがんなどの悪い病気ではないことを証明するために必要なものという位置付けでした。ですので「結果は郵送で送っておいてください」と軽い気持ちでお願いして病院を後にしたのを覚えています。

奥様 主人がCTを受けたのが水曜日でしたが、翌日の木曜に早速、検査結果が速達でクリニックに届きました。受付をしている私が最初に開封して見たのですが、そこに「がんの疑い」といった記述があり、それを見た瞬間には、かなり強いショックを受けたのを覚えています。診療を終えた主人にそのことを告げたのですが、その時でも主人の反応は「嘘や!そんなわけはない、精密検査をすればがんではないことがすぐわかるはず」といったもので、まるで信じていないという印象でした。

杉島先生 とにかく咳以外に症状は全くなく、体が元気だった上に、過去に自分自身で行った腫瘍マーカーを含め血液検査もすべてのデータが正常値を示していたこともあり、そんなわけはないと思っていました。それでも、疑いがあると言われた以上は、精密検査を受けてはっきりしなくてはならないということで、それから1週間後に精密検査を受けました。気管支鏡やMRIなどの様々な検査を行っていくうちに肺がんであることがわかってきて、それも最初はステージlぐらいの軽いものかなと思っていたのですが、検査が進むうちに、それが ⅡになりⅢになり様々な部位への転移も見られることもわかって来て、最終的には「ステージⅣの末期がんです」となったわけです。

正式に肺がんのステージⅣであると告げられた時にはどんなお気持ちでしたか?

杉島先生 もちろん最初はひどく落ち込みましたよ。ただどこかで「それってほんまなん?」という気持ちはありましたね。ただ、咳がだんだんひどくなって、患者さんへの診察を行っている最中にも咳が止まらなくなるようなこともあって、患者さんから逆に「先生お大事にしてください(苦笑)」なんて声をかけられることもしばしばあるような状態でした。

奥様 同じ病院にいて、はたで見ていても、咳がひどすぎて、ほとんど仕事ができるような状態ではなかったので、たまたま同じマンションに住んでいる仲の良いお医者さんに代診を頼んだところ快く引き受けていただいて、すごく助かりました。その頃は、そんな風に周りの人にいろいろ助けていただきながら何とかやりくりしていました。主人は、夜も咳が止まらず眠れない状態が続き本当に辛い思いをしているのがわかったので、何とかならないものかと日々祈るような気持ちでしたね。
そんな風に本人はもちろん、周りの者にとっても辛い日々が過ぎて行く中で、このままでは「クリニックはどうなってしまうんだろう?」なんてことも頭をよぎりましたね。最終的には今年の1月で閉院することになったのですが、主人あってのクリニックだったので、これも仕方のないことと割り切って、治療に専念する方向に気持ちをシフトすることにしました。

杉島先生 ただ、末期がんを宣告されても、咳以外に症状はなくて、体は元気なので「これから自分はいったい、どんな経緯をたどって、どんな死に方をするのだろう?」なんていつも考えていましたね。「だんだんに衰弱して行くのかな?」とか、「最後はどんな風になるのだろう?」って。医者として長らく仕事をして来ましたが、自分自身が本気で「死」と向き合う初めての経験でしたね。この時期、医者であるにもかかわらず、自分の体を科学的に冷静に見るという気持ちにはなかなかなれなくて、改めて肺がんについて詳しく学ぼうという気持ちにも正直なれませんでした。
弟も医者なので、彼が色々調べてくれて、教えてくれるのですが、その中から自分の気持ちが前向きになれる情報だけを自分の中で取捨選択して受け入れるというような状態でしたね。

ページトップへ戻る