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大きな病気をせんと、人間ってなかなか変われませんよ。豊島 エミ子さん(82歳・女性・虫垂がん、子宮体がん)2014年取材
今回、体験談を語っていただいたのは福岡県にお住まいの豊島エミ子さんです。 娘さんの下条令子さんは、看護師でマクロビオティックなどの食事療法に精通し、当会の会報誌に『食事療法のオススメ』という記事を寄稿してくださっています。そんな令子さんが、エミ子さんの異変を知ったのは2011年1月のことでした。
下腹部に強い痛みを感じて検査。最悪の結果に
どのような経緯でがんが見つかったのでしょう?
最初は2010年8月ごろ、下腹部に痛みを感じました。それは徐々にという感じで、あまり気にしていなかったのですが、婦人科で診てもらったところ「子宮筋腫です」と言われました。以前にも子宮筋腫と診断されたことがあり、その影響なのかなと。そのときは痛みを和らげるためのお薬をいただいて帰りました。
ところが、痛みはいっこうに治まらないのです。えぐれるような強い痛みになり、もう、起きていられないほどでした。
令子さん 翌年1月に母に電話したとき、痛みのことを初めて聞き、それなら外科で診てもらう方がいいと言いました。そのとき私は病院勤務をしていて、検査に付き添えませんでした。診察された先生が「腫瘍状のモノが触れるから、一度精密検査をしてみましょう」ということになったようです。
精密検査には私も立ち会いました。大腸ファイバーなどの画像を見ましたが、ギョッとするほど荒れていて、これはがんだなと思いました。先生の診断も「限りなくがんに近いものがある」と。先生は「手術の日にちを決めましょう」と急がれましたが何か胸にひっかかり、今後母が治療するのに納得がいく病院はどこがよいだろうかと仕事仲間の医師に相談して回りました。ようやくがんの専門病院に行くことに心が決まり、母はもう一度最初から詳しく様々な検査を受けることになりました。すると、「虫垂がん」の他に「子宮体がん」が見つかり、大きな胆石があることもわかったんです。
がんと聞かされたとき、もう、なるようにしかならん!という感じでした。トイレで一人になったとき、一瞬、がんで死ぬのかと思いましたが、歳が歳やからいいかと。そういう気持ちでした。この人(令子さん)がいたから、何も心配しないで、この人について行くだけと思っていました。
令子さん がんと告知され、ショックはあったけれど、落ち込みはしませんでした。私は、父のことがあり(14年前に肺がんで他界)、がんに関する情報を持っていました。自分たちで出来ること、それらを試したら治るんじゃないかなと思いました。
2月に入院し、3月に手術をしました。今まで大きな病気をした経験がなかったもんですから、検査の苦しさというのも知らなかったですね。
令子さん 消化器外科の先生をはじめ、婦人科、泌尿器科の先生も入れ替わり手術室に入って、虫垂と浸潤した小腸と大腸の一部、子宮、卵巣、胆のうなど悪いところはできる限り切り取られました。手術は朝から夜中まで15時間かかりました。夜中の待合室に執刀されている担当医が食事休憩のために買ったカップ麺を片手に「手術は順調にいってますよ!」と途中経過を知らせに来てくれた時は、先生が母の主治医でよかったと心から感謝しました。
切った後は痛くも何ともありません。それより、初めての入院が楽しくて、看護師さんから「うるさい!」と怒られるほど4人部屋の皆で笑い合っていたんです(笑)。
令子さん 術後は順調で、その快復ぶりに先生も「おぉっ」と驚かれていたほどです。私は3月に職場を退職し、毎日病室に行くようにしました。病室ではお花を換えたり、気持ちが和らぐような言葉を掛けるなどして精神的に支えることに専念しました。
4月に人工肛門を元に戻す手術の際、縫合不全を起こしたんです。かなり深刻な状態でしたが、先生が治すための手段をいろいろ講じてくださり、快方に向かいました。
結局、6月になってようやく退院できました。