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大きな病気をせんと、人間ってなかなか変われませんよ。豊島 エミ子さん(82歳・女性・虫垂がん、子宮体がん)2014年取材
退院後、わずか3カ月でがんが肺に転移
入院中、抗がん剤の投与は受けられませんでしたか?
令子さん 抗がん剤とはどのようなものなのかを聞く前から母が「抗がん剤はしません」と主治医に言っていました。
同じ病室にいる人が、抗がん剤を投与された後、もう死んだようになって寝ているんです。ぐったりとしていて、人が通ってもそのままの状態です。あの苦しみようを見ると、抗がん剤だけはいやだなぁと思いました。
令子さん きっとその患者さんを目にしていなかったら、母は先生の指示に素直に従っていたタイプです(笑)。
私も受けさせたくないと思っていたので抗がん剤は選択せず、身体に負担をかけない自然のものでやっていこう!と母とふたりで決めました。
矛盾していますが、苦しいのはいやだし、死ぬのもいや。いつも笑って生活しているのが好きなんです。でも、もしもの時はホスピスで痛みや苦しみをとってもらえたらそれでいいと思っていました。
退院後、食事は娘が言う体に良くないものを避けました。やはり、そのようなものを口にすると、すぐにトイレに走らなくてはいけないようになるもんですから自然と自分でも食べなくなりましたね。
令子さん 退院後は私達家族が実家に引越し、母と一緒に住むようになりました。心配していた大きな後遺症もなく退院出来てほっとした部分があり、これからは何でも好きなことができるね!と喜び合いました。お互いがそんな感じで最初はうまくいっていたんです。
だけど、次第に母との折り合いが悪くなったんです。私と主人、子どもが母の世話をしているわけですが、独居生活が長く自由に暮らしていた母と、一変した生活にお互いストレスが溜まってきて、ケンカをすることが次第に多くなってきました。
そういえば、そうやったね。
令子さん 母の顔つきも目つきもだんだん険しくなる一方でした。私もこれではいけないと思いつつも、一旦こじれた関係を修復するのは難しいまま月日は過ぎていきました。 そんなとき、退院から3カ月後の検診にふたりで病院へ行ったんです。胸部のCT検査を受けたとき、肺にがんが転移していることがわかり、愕然としました。
母が「あとどのくらい生きられますか」と先生に聞くと、「何もしなかったら半年です」。 そのときは本当にショックでした。母の精神状態が病気の進行を早めてしまったんだと胸が痛みました。
余命1年ならいろんなことをしたり、見たりできるけど、半年は早いなと。ただ、悲惨な気持ちはまったくないんです。やっぱり、がんは生きられないと思いました。
思い当たるような転移の前兆はありませんでしたか?
咳が出て、顔色が悪くなり、痩せました。少し動いただけで疲れるんです。まさか転移しているとは思わなかったので、なんで疲れるんだろうと思っていました。
令子さん 私はがんの確かな情報をいろいろ持っていたので、告知はショックでしたが希望はあったんです。診察室を出たあとすぐに、母に「大丈夫。私が治る方法を知ってるから治るけん」と言ったら、「わかった」と。後から聞いたんですが、自信満々に言う私の言葉を聞いて母は、「治る!」と思ったそうです。2人とも気持ちの切り替えが本当に早いんです(笑)。
ケンカばかりをしていたときの状況は、がんを容易に進行させるのだと改めて思い知らされました。そしてあまり真剣に食事療法をしていなかったことも、それからの二人の闘病生活の大事な教訓となりました。
それから、いろいろ効果ある方法を組み合わせて一日のスケジュールを一緒に立てました。食事の場面では、例えば大根おろしを食べるときは、こういう作用がこういう風に効いてくるから身体にいいよと横について何かにつけて言い続けました。私はもうこれで治るんだ!みたいな想いにコントロールしていくというか。母もテレビを見てゲラゲラ笑っているし、全然落ち込んでいるところを見せないなと思っていました。
この人が居るから、病気のことは何も考えなくてよかったんですよ。