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スキルス性胃がんと宣告されたその瞬間、すべての風景が変わりました。瀬戸口 拓世さん(51歳・男性・スキルス性胃がん)2009年取材

奥様の紀美子さんと長男、次男の4人家族である瀬戸口拓世さんは、鹿児島県霧島市にある半導体メーカーに勤務されています。趣味はスポーツ観戦で、ご自身も余暇を利用し、30歳のときから15年間スポーツジムに通われていました。明るいご家庭と充実した仕事、そして健やかな日々。順風満帆な人生を送られていた瀬戸口さんの運命を一転させたのは5年前の誕生日に受けられた胃のバリウム検査でした。

診断はスキルス性胃がん、ステージ3a

異変が見つかったときの経緯からお聞かせください。

私どもの会社では2年ごとに人間ドックを受ける決まりになっています。36歳のときのバリウム検査で「胃潰瘍になった痕のようなものがある」といわれましたが、気にはしませんでした。それまで病気とは無縁でしたし、スポーツジムにも通っていて、健康には自信があったんです。

10年後。46歳のとき、やはり人間ドックでバリウムを飲み、X線写真を十数枚撮られました。今年も大丈夫だろうと思っていたとき、最後の1枚で医師が首をひねったんです。「…びらんかな」と。でも私自身、胃は痛くも痒くもない。自覚症状がなければ病気じゃないくらいの感覚でした。体重は少し落ちていましたが、当時は熊本に単身赴任していたこともあり、そのせいだろうと思いました。

とはいえ、やはり気になるので翌週、自宅近くのM医院で胃カメラの検査を受けました。結果は「がんの可能性がある」ということでした。46年間生きてきて、初めて「がん」という言葉を自分のこととして聞いたんです。 疑わしい部分の組織を採取し、病理検査に回されることになりました。そして数日後、M医院からの電話。「検査の結果、がんではありませんでした」と。そのときは心から安堵しましたね。あぁ、ただの胃潰瘍だったんだ、と。

1カ月後、もう一度M医院で胃カメラ検査を受けました。胃潰瘍が良くなったかどうかを診てもらうためです。すると、良くなっていないとの診断で、また胃の組織を採りました。 3、4日後、職場にいる私に家内から電話が入りました。M医院に結果を聞きに行ってくれたようです。家内は泣いているような声で、「やっぱり、がんだった」と告げました。

そのときのショックというのは?

言葉では言い尽くせません。家内も私と同じだったようです。がんという結果を聞かされた瞬間、すべての風景が違って見えました。何も感情が湧かないんです。手術を受けなければという思いだけがありました。熊本の部屋はそのままに、急いで鹿児島へ帰り、2日後には総合病院に入院しました。

術前の検査では次々に悪い結果が出ました。胃がんはあのアナウンサーだった逸見さんと同じ、悪性度の極めて高いスキルス性胃がんであるということ。胃は全摘しなくてはいけないということ。…胃のない生活とはどういうものか、想像もつかずに狼狽しました。胃に近いリンパ節1群にも転移していることがわかり、そこも切除することになりました。

入院から1週間後に手術を受け、3週間後に病理検査の結果が出ました。そこでまたショックを受けたんです。1群までと思われた転移はリンパ節2群にも及んでいたため、そこも切除したと言うのです。思わず「3群は大丈夫ですか?」と聞いたところ、「そこは取っていないのでわかりません」と。結局、がんの進行度は『ステージ3a』と判定されました。

その重い結果を息子さんたちにはどのように?

伝えませんでした。胃潰瘍で、少し胃を切ったことにしました。長男は大学4年生、次男はセンター試験が目前だったんです。だから私のことで動揺させたくないと思いました。

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